弱肉強食の世界となる教室という檻の中
誰にでも優しい子。何かの才能で秀でている子、自分より目立つ子、いかにも弱そうな子。
自分には無いキャラクターを持つ子と、教室という集団生活を強いられたとき、奴らは異物を弾くようにその子を攻め立てます。
いじめを行なうヤツは自分と同じ臭いを放つ子分として使うヤツ嗅ぎ分けます。
初めは自分が中心になって行ない子分を楽しませると共に恐怖を植えつけます。
「自分に逆らったらこうなるんだ」と。
やがて恐怖で支配した子分を手足のように使い遣らせるようになります。
その凄惨さはまだ未熟ゆえ妥協を許しません。
授業中の教師がいようが、休み時間トイレに他所のクラスの人がいようがもう止まりません。
いじめは必ずクラス中、学校中にに判るようになりますが、教師はわかりません。
判ろうとしないと言ったほうが正しいかもしれませんね。
今まで起こってる『いじめ自殺』事件を検証すると、教師の素養の無さが際立ちます。
ごく一部の教師だけでしょうが、その一部の教師が担任になったとき不幸が始まります。
そして友達だったはずの人やクラスメートはほぼ傍観者を決め込みます。
いじめの標的が自分に代わったら大変、元々他人に興味が無いから・・・。
誰も止めるクラスメートが無くなったとき、いじめられてる子の心が壊れてきます。
生徒の心理を考えていない教師は、驚くほど鈍感で無慈悲です。
2015年岩手県矢巾町でおきた事件での担任教師の言動には怒りさえ覚えます。
自殺した彼の悲鳴とも取れる「もう死ぬ場所はきまっている」と書いていたノートに、
担任教諭は「明日からの研修たのしみましょうね」
教師である前に人間失格、
いじめを感じたら教師に相談
困ったことがあったら教育委員会に相談
怪我をして帰ってきたら警察に相談
正しいことですがそれでは緩すぎるかもしれません。